ひなたぼっこぼこ日和

人生、山あり谷ありです。

携帯依存症

 

携帯を触って、飽きて

つまらないと感じる日々。

 

寝て起きて、ため息をつく。

 

私には、何もない。

何も起きない。

どこかの誰かさんみたいにリア充じゃない。

 

人は怖くて、馬鹿にされそうで、

携帯の中に、すでにある何かを見つけようとしていた。

 

でも、携帯の中には何もない。

私のもとめるものはない、とそれだけははっきりわかった。

 

一時的に、面白い動画やテレビをみても、その場だけの充足感。

それは、あるものだけで満足しようとするからだ。

 

自分で歩いて、自分が一番満足する方法を探しだす。

あほみたいに、醜くても、かっこ悪くても、自分にうそのない人生を。

 

 

見ている世界がすべてではない

今見えている世界

現実、それがあなたの目の前にあって

希望なんてないって思うかもしれないけど...

 

私は言いたい

「今の見えている世界がすべてではないよ」と。

 

だから、諦めないで、決めつけないで

こんな世の中、何もおもしろいことなんてない、なんて...

 

実際に、よく見てみたらあるんだ。

人の優しさも、テンションが上がるくらい美味しいものも

時を忘れるくらい大好きなものも。

 

まだ見つけていないだけ

見つけて、味わえてないだけ

ただただ自分の声に従って、興味のあるものを今の自分で味わう

おもいっきり感じてみようよ。

 

世の中ってつまらないと思うときには

あてどころのない怒り。

すべてがくだらなく、いつも楽しくない、つまらないと

そう思っていた。

 

でも、ある本を読んだ。

 

今は質より量が重視されるビジネスモデルになっている。

今は何でも大量に消費することで、経済が回るようになっている。

でも、大切なのは質。

 

 そんな言葉を知った。

 

確かに、なんでも今はお金で支払いができるようになっている。

値段がつくと、物の価値が現れる。

 

でも、そのものの価値って、

人によって違うのではないだろうか。

 

長年こだわりを持って続けてきた定食屋さん。

何年も通い続けている大事な喫茶店

そのお店の食事って、値段云々じゃなくて、

自分にとって、ものすごく価値があるものだと思う。

 

 歴史上、元々は物々交換をしていたものが、

共通の価値として、お金に換算されるようになった。

 

お金に換算すると

色んなひとのこだわりも、想いも

なんだか無機質なものに感じる。

 

だから、私は値段や、お金などの表面的な部分じゃなくて、

その人の想いを想像していったら、いつもより楽しく感じた。

一人じゃないよ

一人じゃない。

 

 

いつも朝起きて仕事に行くとき、

ものすごい不安に襲われていた。

 

大学生のときの、社会人の初めの頃は

朝起きるの嫌だな~

仕事だるいな~と思うぐらいだった。

 

でも、いつの間にか朝起きるのが

怖くなっていた。

夢から覚めると、またこの現実が始まるのかと思うようになっていた。

 

 

でも、誰かと一緒にいて、とても楽しかった後、

別れ際、離れたくないなあ、て感じた

そのとき思ったんだ。

 

ああ、私ってひとりじゃないんだって。

 

こんなに一緒に楽しめる人がいてくれるんだって。

こんなに離れがたいくらい大好きな人がいるんだって。

 

ずっと一人だと思っていた。

一人で頑張らないといけないと思っていた。

ひとりでできるようにならないといけない。

 

でも、違った。

私には周りの人がいてくれている。

 

自分ひとりで生きていたと思っていたが、

全くそんなことはない。

そんな当たり前のことでさえ、

自分の無意識というのは無にしてしまう。

 

自分には、いろんな人がいてくれている。

そう思うだけで心が温かくなる。

安心する。

 

朝のすさまじい不安はどこかに消えていった。

なんでも頑張ってしまう人へ

私は完璧主義だなあと最近思った。

 

だって、なんでもできないと、ずっと自分自身に納得できずにいた。

 

だから、なんでもできるようにならないとという

 

「焦り」

 

なんでできるようにならないんだという

 

「いら立ち」

 

できなかったときの

 

「恥ずかしさ」

 

いろんな気持ちをずっと抱えてきた。

 

 

でも、本当にそれはできるようにならないといけないこと?なんだろうか。

 

 

例えば、電話の仕事が苦痛で仕事を辞めることになっても、また別の仕事につけばいいし。正社員で勤まらなかったら、バイトすればいいし。

 

自分が自分らしくいられる手段や場所はいくらでもあるんだと思うんだよね。

 

頑張り時はもちろんあるけれど、

どうしてもできないことがあったとき、

自分を責めてしまう前に、

 

できなくてもいいよ~って言ってあげたら、

自分からあえて階段を下りてみてもいいよって、

言ってあげたら、少しは気が楽になるんじゃないかな?

 

 

大人数はずるいと思ってしまう。

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私は1人の力で勝負したい。

誰かがいないと人と向き合えないのは嫌だ。

 

私は1対1で向かい合いたい。

誰の邪魔もなく、誰かの意見じゃなくて、あなたの本音に向き合いたい。

 

1人じゃ何もできないからといって、

大人数で群れることでしか強くいれないのは

すごくむかつく。苛だたしい。

 

群れんじゃないよ。

そう思う。

 

だからもし、大人数で立ち向かえなくても

上手く振る舞えなくても、

自分を責めたりしない。

だって、一人ひとりと分かりあうことがいちばん大事だから。

 

大人数の中でも、よく見られる必要もないから、好かれるような意見を言ったりもしない。個人と接するように、意見を言おう。

 

そう決めた、今日この頃です。

 

 

最悪の事態を考えてしまいそうになったら、まずは自分ができるレベルのことを考える

いつからか、

行動する前に不安が付きまとうようになってしまった。

 

もし失敗したらどうしよう...

もし恥をかいて、他の人に嫌われてしまったらどうしよう...

 

いつもは何の意識もなく、軽々できていたはずなのに

いつの間にか、不安を気軽に乗り越えることができなくなっていた。

 

 

色々と考えすぎてしまう性格だからかもしれないが、

私はよく、最悪の事態を想像してしまうことが多かった。

(そして絶望する←)

 

そんな不安で行動ができない時が多くなった時にはよく

自分にはできないで終わるのではなく、ハードルを下げて、

今の自分にできることに集中して、やってみることにした。

 

例えば、

×大人数で話す→大人数で話すの苦手やし、できない!!

→ハードルが上がりすぎてできない!!><

〇(今できること)少人数なら話せるからなあ、その延長線上と考えよう

→ハードルが下がる

 

できないことを不安に思うことこそ、たいそうもったいないいし、人間として当たりまえの装備である。

それよりも他にできることを考えて、自分の快適領域に近いところから

少しずつ脱していけばいいと思う今日この頃です。